Siaとマディ・ジグラーに見る、歌と踊りの精神表現
(随時加筆中 最終更新2016/04/01)
最近、ダンスにおける振り付けの拘束力と、振り付けの有無やダンスという表現方法に規定されない自由な精神表現についてちょっと考えてます。
先日、Siaというオーストラリアのシンガーソングライターの楽曲を漁っていたところ、Sia本人がダンスをしているPVを見つけました。
ダンスといっても、「手話」ではあるのですが…冒頭1分間の動きの優美さを観れば、十分すぎるほどにダンスと言えると思います。これが素晴らしい。
もともと、彼女の歌唱に豊かな感情表現と爆発力があるは知っていたのですが、それが彼女の本職ではないダンスにも生かされている。
比較対象として、上の動画の(0:55)辺りで、Sia以外のダンサーさん(手話影絵のパフォーマー)が登場し、曲に合わせた"悲痛な表情"での踊りを見せますが、その表現はSia本人の感情表現とは明らかに質が違っています。
手話パフォーマーの演技(特に表情)はどこか過剰な表現であるように見えます。(手話パフォーマーによる影絵のパフォーマンスは文句なしに素晴らしいと思います。)
Siaといえば、昨年グラミー賞で有名になったこの曲のPVが印象的ですよね。
踊っているのは11歳の少女「マディ・ジーグラー」。
彼女の踊りは、常識破りの振り付けに、彼女自身の子供らしい「やりなげ感」が加わり、すばらしい精神性を持つ作品に仕上がってると思います。
こちらのライブ映像では、同じ振りつけを別のダンサーが踊っている。
振り付けはほぼ同じですが、ダンサーが変わると表現される精神性が大きく違うものになっていることがよく分かる例だともいます。
このダンサーさんの敗因は「わざとらしさ」と「振り付けに従う様」が垣間見えすぎているところだと思います。
先ほどマディ・ジーグラー氏のダンスの「やりなげ感」を褒めましたが、こちらのダンサーさんはやりなげ感を完全に演技として表現していて、その演技が少し過剰です。
演技のせいで精神性が隠されてしまっている。
一方こちらは、先ほどとは別の大人ダンサーがマディーさんと2人で踊る。
この2人の踊りは素晴らしいですね。
まず大人のダンサー(恐らくAllison Holker氏)の技量が凄まじい。踊りが正確で、かつ信じられないほどダイナミックです。
そしてそのダンスの熱量にマディ氏が影響され、他のどんな場面で踊ったときよりもダイナミックで精度のある踊りをしています。そしてマディ氏のそのダンスに、Aliison氏もまた影響され、二人が一緒に踊りながらも互いの技量を最大限に出し合い「戦っている」のが分かります。
振り付けとして彼女らが演技をしている部分はもちろんあるのですが、その演技が彼女たちの精神性を隠していない。それがこのダンスの素晴らしさにつながっていると思います。
問題は、「過剰な演技」と「精神性をより表現するための振り付け」を分けてるものは何なのか、というところです。でもそこはまだ考え中ですのでまた追い追い…。